2019年6月9日日曜日

小和田家と新皇后雅子さまOwada family and New Empress Masako-sama

小和田家と新皇后雅子さま
Owada family and New Empress Masako-sama
    


雅子さまの父方のおじい様は 小和田毅夫さんです。

小和田毅夫さんは、昭和21年高田中学校長として赴任した。
新皇后であられる雅子さまのお父様であられる 毅夫さんの次男大和田恒さんは高田中学二年生に編入されました。
      
昭和22年11月高田中学3年の記念写真

昭和22年4月から6・3制が発足した。この学年を含め4箇学年の生徒は6年間同じ学校で勉強することになる。

恒氏は勧誘されて文芸部に入った。後に機関誌の形で学校新聞を出すようになり、新聞部に変わった。
昭和24年3月新聞部の生徒たち

恒氏は昭和26年、東京大学文化Ⅰ類に合格した。

昭和28年6月木造第2棟校舎の着工式
前列左に小和田校長
この年、体操部は国体優勝、スキー部が全国高校スキー大会総合6位となった。

昭和30年頃高田高校で県高校体操大会
小和田校長は国語漢文が専門だったが体育、理科などの会の会長でもあった。

昭和31年体操部演技発表会

中央に小和田校長


 昭和32年、火災により後者の大半を消失しました。
焼け跡の整理に5日間かかった。作業が終わると全校集会が開かれ、小和田校長が労を労い、全員で校歌を歌ったという。小和田校長は声をつまらせてむせび泣かれたという。
           
        
 昭和33年4月7日小和田毅夫校長の離任式終了後教職員、生徒全員が校門の所でお送りしました


平成2年9月母校高田高校で小和田恒氏の講演会があり、同期生による懇親会に出席なさり、高校時代を懐かしんだ。
  


     小和田恒氏は平成31年4月15日高田高校で
145周年式典にて記念講演をされました。

小和田恒様のインタビューより
1945年の敗戦後日本が急激に変貌していく中、高田旧制中学校、新制高等学校と一貫教育の環境で多感な少年時代を過ごしたことは、その後の私の生き方に決定的な影響を与えたことを痛感します。
今の高田高校生に臨むことは、心を世界に向けた人生を送ってほしいということです。自分の住む地域社会が世界の一部であり、自分自身が一人の人間として、地球と言う一つの社会の中で生きているのだという自覚を持って生きていく、開かれた心こそが大切なのだと思います。
その意味では地球社会のための働くことも、国のために一生を捧げることも、世間の役に立つ仕事をすることも、それぞれに大切なことです。
皆さんが自分の人生を振り返る時が来た時に、一人の人間として、立派に生きた一生だったと感ずることが出来るような人生を目指す気持ちを持って、毎日を送ってほしいと思います。それが、地域のため、日本のため、世界のために役立つ生き方に繋がるのだと、私は考えています。
第一義は上杉謙信のことばです

畏れ多くも、
新皇后雅子さまのお父様小和田恒氏は
小生の高田高校大先輩にあられます。
(以上は 令和元年6月 高田高等学校 学祭出展資料に基づきます)

1 件のコメント:

  1. 貴重な資料を拝見させていただきました。
    私のTwitterで紹介させていただいても宜しいでしょうか?

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