第二の矢に注意
http://ameblo.jp/nibbaana/theme44-10021058016.html
私たちは日常、ものごと、出来事などから
何かを感じ取り
苦・楽を感じ
様々な感情が生まれてきます
時に無関心でいる時もあります
これら感受する作用を「受」といいます
これを「第一の矢」といいます
ところが
凡人である私たちは
更に欲しいという欲望(貪欲)
憎み、憤怒する怒り
あるがままに受け取れない無知(愚痴)
三つの毒(煩悩)
に支配されます
これを「第二の矢」に刺された
と言います
「第一の矢」は水面に起きた波紋に例えられます
これは当たり前のことで必ず起こる波です
生きている限り、心が動き、感じ
波が立ちます
「第二の矢」は
その波の動きに翻弄されて、
自分自身が動き出して立てる荒波です
修行は
三毒(煩悩)をなくすためです
「第二の矢」に射られなくなることです
従って
修行しても
第一の矢を無くせません
参考:古城山 荒村寺 第12話「第二の矢」
http://www.kosonji.com/buddhismepisode/bep12.html
また
生きるとは
「苦」を感じることでした。
ブログ:「生きるとは苦しみ、
苦はよりよく生きるため」⇒
http://tadnakada.blogspot.jp/2015/09/blog-post_14.html
生きることは
第一の矢に当たり
苦を感じ
心にさざ波が立つことですが
第二の矢を避けるべく
日夜努力すべきだと
思います
私たちは日常、ものごと、出来事などから
何かを感じ取り
苦・楽を感じ
様々な感情が生まれてきます
時に無関心でいる時もあります
これら感受する作用を「受」といいます
これを「第一の矢」といいます
ところが
凡人である私たちは
更に欲しいという欲望(貪欲)
憎み、憤怒する怒り
あるがままに受け取れない無知(愚痴)
三つの毒(煩悩)
に支配されます
これを「第二の矢」に刺された
と言います
「第一の矢」は水面に起きた波紋に例えられます
これは当たり前のことで必ず起こる波です
生きている限り、心が動き、感じ
波が立ちます
「第二の矢」は
その波の動きに翻弄されて、
自分自身が動き出して立てる荒波です
修行は
三毒(煩悩)をなくすためです
「第二の矢」に射られなくなることです
従って
修行しても
第一の矢を無くせません
参考:古城山 荒村寺 第12話「第二の矢」
http://www.kosonji.com/buddhismepisode/bep12.html
また
生きるとは
「苦」を感じることでした。
ブログ:「生きるとは苦しみ、
苦はよりよく生きるため」⇒
http://tadnakada.blogspot.jp/2015/09/blog-post_14.html
生きることは
第一の矢に当たり
苦を感じ
心にさざ波が立つことですが
第二の矢を避けるべく
日夜努力すべきだと
思います
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