2016年2月25日木曜日

死について考える ブッダの言葉

死について考える  ブッダの言葉

昨年四月、弟が死に、
今年二月、知り合いの娘さんが亡くなった
吉川英治は「親鸞」の中で
「死を考えることは、生を考えることである」
と言っている

ブッダは
涅槃するブッダ
アジャンタ石窟寺院
中村元 訳「ブッダの言葉」新潮社

「生まれたものどもは、
死を遁れる道がない。
老いに達しては、死ぬ。
実に生あるものどもの定めは、
このとおりである。

熟した果実は早く落ちる。
それと同じく、
生まれた人々は、
死なねばならぬ。
かれらにはつねに死の恐れがある。

たとえば、陶工のつくった土の器が
終にはすべて破壊されてしまうように、
人々の命もまたそのとおりである。」

「若い人も壮年の人も、
愚者も賢者も、
すべて死に屈服してしまう。
すべての者は必ず死に至る」

「だから、尊敬されるべき人の教えを聞いて、
人が死んで亡くなったのを見ては、
かれはもうわたしの力の及ばぬものなのだ
とさとって、嘆き悲しみを去れ。」

「己が悲嘆と愛執と憂いとを除け。
己が楽しみを求める人は、
己が煩悩の矢を抜くべし。

煩悩の矢を抜き去って、
こだわることなく、
心の安らぎを得たならば、
あらゆる悲しみを超越して、
悲しみなき者となり、
安らぎに帰する」
中村元 訳「ブッダの言葉」新潮社

「泣き悲しんでばかりいても、
心の安らぎは得られない。
ますます苦しみが増えてきて、身体にも悪い。
悲しみを捨てないと、
その人は一層多くの苦しみを受けることになる。
亡くなったひとのことを悲しんでばかりいると、
悲しみの虜となってしまう。」

「人がこれは私のものだ、と執着したものは、
その人が死ねば失われる。
私に従う賢者は、
このことを見たなら
所有欲に屈してはならない。」
佐々木閑訳・監修「ブッダ100の言葉」宝島社


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